紹介事例-がんばっている先輩たち


◆応募当時のエピソードや現在の活躍ぶりも!

STEPから新聞販売店に入社してがんばっている先輩たちに、さまざまなエピソードを伺いました。
これから応募される方へのメッセージもあります。応募を検討中の方には、とても参考になると思います。
(※年齢や年月は取材当時のものです)

★「震災から2年、頑張ってます」…YC・K店  Iさん(30歳、栃木県出身)

 

○応募当時のエピソード

2011年3月11日の東日本大震災の時、私達家族は茨城県北部の海岸沿いに住んでいました。高台にあった住まいは壁にヒビが入った程度で無事でしたが、職場は津波の影響を受け半壊、しばらくは仕事にならない状態になり、やむなく退社することになったのです。家族6人、住み込みで働いて生活を立て直さなければなりません。

そこで、最初は半信半疑でしたがNetで見つけたSTEPに問い合わせをしました。出張面接に来てくれたSTEPの担当さんに、「通常は即決できるのですが、家族の多さと寮の問題でなかなか採用は難しい。希望の勤務地や条件は聞けないかもしれない」と言われましたが私は、一日も早く就職を決め、家族を守らなくてはと思い「場所はどこでも構いません。とにかく頑張ります!」と伝え自宅で待機しました。翌日、連絡があり、東京までの交通費が振り込まれ紹介されたのが現在勤めている販売店のS所長です。

 

大変だったこと

あとでSTEPさんに聞いた話ですが、6人家族ともなるとほとんどの所長さんに「それでは面倒が見きれない」「部屋がない」と断られる中、「良い人材であればぜひ会ってみたい」と言ってくれたのがS所長。面接で採用が決まると広告に書いてある通り、交通費、赴任費用、引っ越し費用すべて出してもらい、部屋も広い間取りの所を借りてくれました。

所持金もほとんどなく、家族6人で新しい生活を始めたので、最初の頃はギリギリの生活。本当に苦しかった。前借りしながらの極貧生活。でも、S所長はじめA店長、職場の仲間たちにいろいろと助けてもらったおかげで今があります。特にS所長A店長。本当に感謝しています。

 

現在の活躍!

Iさんはお世話になったS所長やA店長、店の仲間たちのためにも懸命に働き、今年の1月時点で『多摩オールスターSH』個人ベスト5位というすばらしい営業成績を収めています。一番稼いだ時には、月収が50万円ほどにもなったそうです。

【SH…スーパーヘルプの略。特定の販売店の営業の応援に、近隣の販売店から集められる人のこと】

Iさんは「今年10月発表の『多摩オールスターSH』ではぜひ1位をとりたい!」と意気込んでいます。

 

○これから応募される方へ一言

「この仕事は、頑張れば頑張っただけ(お給料として)自分に返ってくる。とてもやりがいのある仕事です。やる気さえあれば、大丈夫です!」とエールを送ってくれました。

 

 

★「未経験から1年で店長になりました!」…YC・M店  S店長(37歳、広島県出身)

 

○応募当時のエピソード

東京に来る時に思った事は「どうせなら東京のど真ん中、都心で勝負してみたい」ということ。まずは新宿区に自分で部屋を借り、しばらくは何もせずにプラプラとしていたのですが、「そろそろ何かしなくては」と思い就職活動をはじめたのが去年の2月です。

沢山の職場から勤務地を選べる。福利厚生が良い。そして、やればやっただけ収入が上がる。そんなうたい文句に惹かれSTEPに応募し、都心の職場を希望した所、紹介されたのが現在の職場です。

 

大変だったこと/嬉しかったこと

初日がいきなり雪でした。配達はまったくの未経験なので、どれくらいの新聞をバイクに積んで良いかわからず、ビニールが滑って道にバラまいてしまったり、バイクを倒したり。結構苦労しました。商品である新聞を汚さないように、時間通りに配り終えるように、最初の頃は必死でした。

営業も未経験でしたが、夕刊の時などに、見知らぬ人でも、お客さんじゃない人でも気軽に挨拶をしていると、やがて声をかけてもらったり、何気ない会話をしたりする様になり、結果的に新聞を取ってくれるようになる。それが一番嬉しいです。会話が上手いとか下手とかじゃなく、人と人とのつながりや、地域との繫がりが結果に結びつく。それがこの仕事の醍醐味で有りやり甲斐だと思います。

 

仕事のやりがい/現在の活躍!

この会社に入って本当に良かったと思っています。社長であるY所長を、経営者としても人間としても心から尊敬しています。公私ともに色々なアドバイスをもらったり、たまに飲みに連れて行ってもらったり。この会社じゃなかったら今の自分はなかったかも知れません。

入社からわずか8ヶ月で店長に任命された時は、社長や仲間達から認められた達成感で本当に嬉しかった。うちの会社は現在系列店を含め4店舗。ここから独立された先輩店長もおり、これからもどんどん伸びていく会社です。この会社の一員として更に上を目指して頑張って行きたいと思います。

 

○これから応募される方へ一言

この仕事は、常に自分との戦いです。たとえば、夕刊を配り終えて「疲れた」って寝てしまったら負けだし、頑張って営業に行って契約をとってくれば勝ちです。自分に負けたらそこで終わってしまう。

僕の性格は「やるといったら絶対やる、イヤなものはイヤ」と極端なんですが、「やった」から今の自分があるんです。自分に負けないでください!!

 

★「次に所長になるのは俺だ!」…ASA・K店  T店長(36歳・秋田県出身)

 

○応募当時のエピソード

今から10年ほど前の26歳のとき、今のSTEPの社長さんが独立する前にいた会社に応募しました。

以前はずっと派遣で働いていて、工場を渡り歩いて結構お金が貯まったんで、いったん地元の秋田に帰ったんです。でも向こうではなかなか仕事が見つからず、お金もだいぶ無くなってしまったんで、交通費全額支給と言うのもあって秋田から応募しました。

新聞販売店で働くつもりではなかったんですが、寮もあるし、やったこともなかったし、たまたま応募したのがこの仕事を始めるきっかけでした。

 

嬉しかったこと/大変だったこと

最初に入ったのは今とは別の店だったんですけれども、その時のT所長には何かと面倒を見てもらいました。一番の思い出は、その店長から車を譲ってもらったことですね。「足がないとこの辺りじゃ不便だろう」って。とっても嬉しかったんですけど、車検が半年しか残ってなくって(苦笑)。半年後に「ありがとうございました」ってお返ししました(笑)

そのT所長の店で店長だったのが今の店のG所長。新しい店ができG所長が独立した時、志願して付いて来ました。

新聞販売店で働くのはまったく初めてだったので、最初は仕事のタイムスケジュールに体が慣れず大変でしたが、まだ若かったし(笑)、すぐにへっちゃらになりました。

以前働いていた工場では、直接お客さんと接することはなかったですから、新聞の配達中にお客さんから「ありがとう」と感謝の言葉をもらったりすると、本当にうれしかったです。営業も初めてでしたけど、楽しかった! 会話が弾んで、最終的に契約書にハンコをもらうのが快感になってしまいました(笑)

 

所長はこんな人/仕事のやりがい

今の店に移って7~8年になりますが、G所長はそれはそれは厳しい人です。激しくゲキを飛ばされることはしょっちゅうです。

でも、人にはとっても優しいんですよ…壁には穴があいてますけど(笑) 冗談ですよ、ジョーダン!

社員のことをとても良く考えてくれていて、〈適材適所〉で、その人の良い点を生かそうとしてくれるんです。だからどんなに厳しくても、みんな付いていくんですよ。

この仕事は、基本給の他に歩合がつきます、やればやっただけお金になるのが一番です。稼ぎたい人には本当にいい仕事だと思います。

 

○これから応募される方へ一言

『やってやる!』という、強い意志を持って来てください。ほとんどみんな、マイナスからのスタートですから。そんなことは全然気にしません。この仕事はチャンスはいくらでもあります。だってボクだって店長になれたんですよ。学歴も資格もいらない。やる気だけでOKです!

入社当時は独身で、ごく普通のイケメンでしたが、いまでは家族ができ、嫁と子供達と幸せに暮らしています(20キロ以上幸せ太りしました)。

田舎で家業を継いだり、頑張ってる人も立派ですが、ボクは田舎ではやりたい事が見つからず、東京で何かやってやろう!と言う気持ちで出てきました。やるからには人に勝ちたい!そんな方にはこの仕事はピッタリだと思いますよ。東京で勝負してみませんか?

 

 

★「笑いの絶えない明るい職場です!」…ASA・K店  T主任(35歳・静岡県出身)

 

○応募当時のエピソード

僕がSTEPの社長さんにお世話になったのは、今から5~6年前の、ちょうどリーマンショックで不景気の嵐が吹き荒れている頃でした。

東京にいて就職先を探していたのですがなかなか決まらず、相当焦っていました。

前職が新聞販売店だったので、どうせまたやるのならと求人誌でいろいろと探した結果、「何でも相談に乗ります!」というSTEPさんの広告に惹かれて電話をしました。いろいろ面倒を見てくれて、面接に行った日に飲みに連れて行ってもらいその日は事務所に泊めてもらいました。(当時は宿泊用の寮がなく、事務所のソファーで寝ました)

今でも社長さんと仕事の電話で話すたびに、「今度焼肉連れてってくださいよ」とか「ウチに遊びにおいでよ」とか言い合う仲です。まだ実現してませんけど(笑)

 

大変だったこと

以前も新聞販売店で働いていたから、仕事内容はわかっていました。

営業のやり方はどの店に行ってもだいたい同じで、自分しだいだと思うのですが、それ以外のことは、店によってまったく違います。

慣れるまで、今の店のやり方に合わせられるようになるまでは、かなり大変でした。

経験者で「店のやり方が合わない」と辞めてしまう人が多いのですが、それはやっぱり、自分が合わせていく、慣れるしかないんです。どこへ行っても、同様だと思います。

なんだかんだ言って最初のうちは、朝起きるのがやっぱりツラらかったです(笑)

 

職場の雰囲気

T店長(前出)はあんな感じで(笑)、いつも冗談ばかり言っているので、職場の雰囲気はとても明るいです。

G所長はチョー厳しいですけどね(笑) いろんな意味で、かなり鍛えられました! 体育会系のノリですかね~うちの場合。厳しいし、口は悪いのですがG所長をよく知る人たちからは「あんなに優しい人はいないよ」とよく言われます。実はアットホームな会社で、社員全員で石和温泉とかにも連れてってもらい大フィーバー。やる時はやる!遊ぶときも思い切り遊ぶ(笑い)

この店は営業で、販売店社内コンクールの多摩東部地区で、5位以下になったことは一度もないんですよ。チョー明るい店長の下、みんな営業がんばってます!

でもってガッツリ仕事に精を出したら、夜はパラダイスですよ!(笑←個人的に)

 

○これから応募される方へ一言

これから新聞販売店で働いてみようか、と思っている人に言いたいのは、『甘い夢を見てないで、現実を見ろ!』ということです。

面接に来たときの自分…金がない、家もない、何もない…そんなどうしようもなかった自分を常に見据えながら、日々の現実と向き合ってください。なんか、かっこいいこと言ってるなー(笑) でもこれは冗談じゃなくて、本気です。マジです。

STEPの社長からは会うたびに「キャバクラの帝王は卒業して貯金しやがれ!」と説教されます(爆)まぁ、そのうち本気出しますから(笑い)すよ!(笑←個人的に)

 

 

★「アテもなく東京へ来たのですが」…YC・O店  Kさん(28歳・岩手県出身)

 

○応募当時のエピソード

ボクは複雑な家庭環境で育った俗に言う「お婆ちゃんっ子」。一応、母親はいるのですが、再婚し別の家庭を持っているため家族はバラバラで関係はあまりよくありません。そんな訳で苗字も「I」から現在の「K」に変わりました。岩手ではなかなかやりたい仕事が見つからず、家にも自分の居場所がないような気がして思い切って東京に行こう!と決意しました。
バックに着替えを詰め込んで新幹線で東京まで来たのですが、そこでアクシデント。免許書をなくしてしまいました。慌てていて何処かに落としてしまったのです。所持金も¥5,000しかなくなり困り果てている時に見たのがSTEPの募集広告です。ここに行けば何とかなりそうだ…と正直思いました。それが去年の11月30日。とても寒い日でした。

 

入社までのエピソード

実は、最初に紹介してもらった会社でボクは面接で落ちてしまいました(苦笑)。今だから笑って話せますがその時はかなり凹みました。免許をなくしていて、親も保証人になってくれない。苗字も変わっていますので「怪しい」と思われたのかもしれません。

そんな時STEPの社員さんから「な~に。会社は沢山あるから心配ないよ。必ず就職できるから大丈夫!」と言われ少し安心しました。
その日はSTEPの寮に泊まり、夕方事務員さんがチャーハンを作ってくれたのを今でも覚えています。翌朝はSTEPの社員の方々と一緒に朝ご飯を食べて、その後紹介されたのが現在勤めている読売新聞O店のF所長。最初はアルバイトからスタート、という条件付きでしたが無事採用され、その日から入寮、翌日から働けるようになりました。もちろん現在では正社員になって頑張っています。

 

現在の活躍!

STEPに来て良かったことは、本当にすぐに仕事が決まったこと。ですが、もっと良かったことがあります。それは「自分の居場所が見つかったこと」です。まだまだ会社に貢献できていませんが、所長と所長の奥さん、そして先輩社員の皆さんと毎日楽しく働いてます。居心地が良い、雰囲気の良い会社で女性スタッフも頑張っています。ボクも先輩社員の皆さんもウチの会社が大好きです。その証拠に、ボクが入ってから一人も社員が辞めてないんですよ。
仕事の上ではまだまだ半人前です。目立った成績も上げてませんし、すごい給与でもありません。なぜ体験談に載ることになったかというとF所長が「とにかく頑張り屋だ!」とSTEPに推薦してくれたからです。臨時収入もあってラッキーです。これからもコツコツ頑張ります。
最近嬉しかったことは、先日の母の日に岩手のお婆ちゃんにカーネーションを送ったら、お婆ちゃんがすごく喜んでくれたことです。

ウチの店では誕生月のお客様に店頭で花束をプレゼントしています。花束をもらったお客様の嬉しそうな顔を見ていて岩手のお婆ちゃんを思い出し、誕生日や母の日などには何か送ってあげたいと思うようになったのです。出来ることから少しずつお婆ちゃんに恩返しできたらと思っています。

 

○今後の目標

ボクが担当している地域のお客様全員に、自分の名前を覚えてもらう事が目標です。そして、ゆくゆくはSH(応援拡張)やコンクールで上位に入り表彰されるようになりたい!それが仕事上の目標!
プライベートではアメリカンバイクを買うこと!岩手にいた頃はかっこいいドラッグスターに乗っていました。そして…バイクの後ろに乗ってくれる「彼女も募集中」(笑)

 

 

★「本当は役者になりたくて東京へ」…ASA・H店  I店長(25歳・奈良県出身)

 

○入社時のエピソード

入社したのはちょうど1年前の5月12日。奈良県から愛車のアリストに乗って東京に出てきました。こちらに着いてからフリーペーパーの求人誌で見つけたのがSTEPです。今考えて見るとかなり無謀ですね(笑い)
最初は都心の職場を希望していたのですが、駐車場の金額を聞いてビックリ(4~5万)それで東京都H市の現在の勤め先に決めました。

将来の夢は「役者になる事」と面接の時に話すと、「アルバイトをしながら夢を追いかけるのも良いかもしれない。でも、たいていソレは上手くいかない。二兎を追う者は一兎も得ずと諺にもあるでしょ? それならば、1年だけ役者の夢は封印して、がむしゃらに社員で働けば100万は貯金できる。そこから役者になることに専念しても遅くはないのでは?」と言われ、とにかく1年だけ頑張ってやってやろうじゃないか!そうゆう気持ちになりました。
今の会社のT社長にも同じようなことを言われ、とにかく1年だけ頑張ってやる!が私の公約、その後は役者になる!予定でしたが…。

気がつけば店長になっていました。T社長に上手くのせられてる気もしますけど(笑)。給与は一番稼いだ時で40万円くらいです。

 

STEPに来て良かったこと

広告に書いてあるとおり、面接に来てすぐに仕事が決まり寮に入れました。しかも、いくつかの選択肢がある中から「キミの場合この会社が一番合うと思うよ」と薦められたのが現在勤めている会社です。良い会社に就職できて良かったと思っています。
新聞販売店で働く前は、酒屋で働いていたのですが、その当時は「俺はやることはやってる、多少サボろうが何しようが文句を言われる筋合いはない」そんなスタンスで仕事をしていました。役職の話が持ち上がっても、そんなに給与がアップする訳でもないのに、余計な仕事が増える、「やってられない」と辞退するような人間でした。格好つけてはいましたが、今思えばプレッシャーから逃げていたようなもの。自分勝手で器の小さな人間だったかもしれないと思うようになりました。
今の会社に入って「自分に足りなかったもの」が見つかりました。常に上を目指す姿勢!プレッシャーと向き合う勇気!結果を出すことの喜び!辛いときもありますが、毎日が充実していて「自分が成長している」と感じられることが何より嬉しいです。

T社長や職場の仲間達から信頼される人間に成長できた証が、店長という肩書き(今後の期待も込めてだと思いますが)、その名に恥じない仕事が要求されます。そのプレッシャーと正面から向き合い、結果を残せたら、自分はもっと成長できるような気がします。

 

今後の夢、目標!

役者になる夢はまだあきらめた訳ではありません。でも、今の会社も今の仕事も大好きです。あと2年頑張って見ようと思っています。

T社長との約束の1年に近づいた時、「役者になりたいなら後のことは気にせず辞めても良いぞ」といわれました。と同時に「役者になるにしても…お前にはまだまだオーラが足りない」ともいわれました。なるほど、T社長からはオーラがビンビンに出ています。「自信」というか「器」というかスター性すら感じます。自分に足りないものを持っている方です。辞めて役者を目指すか?店長になって続けるか?自分が出した答えは店長としてあと2年頑張ってやろう!でした。その時に社長と約束したことが今の自分の目標です。
「2年以内に、この店を多摩地区NO.1のASA(朝日新聞販売店)にすること!」有言実行で頑張ります。

 

○これから新聞販売店で働く方へのアドバイス

きっかけは何でも構いません。私のように期限を決めてやるのも良いと思います。収入ももちろんですが、それだけじゃありません。「自分の成長が実感できる」「達成感が味わえる」「普段接することがない沢山の人と話ができる」そんな仕事です。一生懸命やってると仕事が面白くなってきます。そうなったら稼げるようになりますよ。
最初は出来なくて当たり前。先輩社員が面倒見てくれますから未経験でも大丈夫。でも、楽な仕事ではありません。雨、風、暑さ、寒さ…。時間も結構長いし、週一の休み以外は余程のことがない限り休めません。お客様の都合によっては時間外に集金に行くこともあります。嫌々やったらダルイ仕事ですし、もっと楽な仕事はいくらでもある。それでもこの仕事を続けるのはなぜか?それはやって見ればわかります。
1年だけでも東京で頑張ってみよう!そんな方はSTEPまで応募してください。一緒に頑張りましょう!

 

 

★「無我夢中!」……ASA・K店  A店長(43歳・栃木県出身)

 

○入社時のエピソード

私が面接に来たのは8年前のこと。当時はまだSTEPという名前ではなかったなかった頃です。平成17年の4月1日。この日が私の再スタート地点。生涯忘れられない日です。

トラックの運転手をして普通に暮らしていた私ですが、交通事故がきっかけで仕事を辞めなくてはならなくなってしまいました。もらい事故でしたが相手は逃げてしまい、当時勤めていた会社は自己責任とかいって何の補償も面倒もみてくれない。それ以来何をやっても上手くいかず、家族とも別居するようになり、文字通り身も心もボロボロでした。
面接に来た時、所持金は千円以下、荷物はバックひとつ。身内からの信用も失った状態で、たどり着いたのが新聞業界。まったくの未経験。正直、仕事の内容なんてどうでも良かった。とにかく仕事がしたかった。待遇なんて「雨風しのげれば」それで良かった。人に後ろ指さされる様なことでなければ何でもやってやる!そんな気持ちでした。
 

本当に迷いはなかった!

それだけ気合いが入っていれば、必ず採用してくれる会社がある。「腹くくってやれるか?どうか?」で二つ返事で採用されるから大丈夫。そういわれて向かったのが現在勤めているK店。
ところが、そこで待っていたのは二つ返事で採用してくれるはずの所長ではなく、鬼の店長…。例えるなら、新撰組の鬼の副長「土方歳三」タイプの店長でしたね。約2時間の面接の後、やっと採用?となったものの「あと30分、外に行ってもう一回考えてきなさい」といわれました。自分は「いってる意味がわかりません」「やると言ったらやります」と答えましたがしばらく押し問答の末、やっと採用。

「悔しかった」し「情けなかった」。「今に見てろよ」と正直思いました。思い起こせば、当時の自分はパンチパーマ。女房子供を置いて田舎から逃げてきたハンパ者と思われ、根性試しをされたような気もします。

その鬼店長は現在では独立して社長になりましたが今でも交流があり、自分の事を「菊リン(ビーバップハイスクールの)」と呼んでいます(苦笑)その面接のおかげでテンションはMAX。そこからは無我夢中でした。やってやる!そんな気持ちでした。

 

現在の活躍!

一番稼いだ月は、月収58万円。だいたい月の平均は40万くらいですかね。所長が留守の時は全権を委任されている立場ですから、責任は重大です。
数年前、人出が足りなくて苦労したことがありました。怪我人やら何やらで人手不足。一番きつかったのはその時でしたね。自分が3区域(3人分)の配達をやりました。約1,200軒分。死ぬかと思いましたよ。でもね、格好つける訳じゃないですが社員にそんなことをさせる訳にはいかない。だから自分がヤルしかない。これから独立を目指すにはそのくらいの覚悟がなければいけない!と同時に、だからというわけではないけど社員を大事にしなきゃいけない。そんな風に勉強させてもらってます。

 

○現在の目標

目標は2年をメドに独立!あまり口に出してはいわなかったけれど、ここまで来たら「一国一城の主」になりたい。そのために頑張って来た。そしてこれからも頑張ります!